こんにちは、taikiです。
ボクらの時代というトーク番組をご存知でしょうか?
何かの特定の切り口で集められた3人が適当にトークするという番組があるのですが、この番組内でとっても興味深い内容がありました。出演者は、異文化から来た作家という切り口で集められた“お笑い芸人で作家の又吉直樹”と“ミュージシャンで作家の町田康”と“俳優で作家の山下澄人”という3人です。
その番組内のトークで、町田氏がこんな事を言っていました。
町田氏:
このあいだスタジオでレコーデイングしたとき、不手際で録れなかった。
すごい上手く歌えたんです。気持ち的に。
もう1回と言われて、普通怒るかな、よく自分の心考えてみると
「あ、もう1回歌えて嬉しいな」って気持ちがあった。
つまり、歌歌うのが好きでこれやってるわけで
2回歌えるのが楽しい、自分が。
出所:ボクらの時代 町田康×又吉直樹×山下澄人 芥川賞 異文化から来た作家
「もう1回歌えるのが嬉しい」
この感覚を先日の柔術の大会「東日本マスター」で私も体験し、試合後にたまたま見たこの番組でタイムリーに共感しました。普段とは毛色の違うアプローチですが、せっかくなのでこの気持ちを文章に残しておこうと思います。
もう1試合出来るのが嬉しい
先日の東日本マスターでは、階級別は初戦敗退、無差別級では初戦一本勝ちで次の試合に進みました。初戦を勝ち残って、2回戦に進める事が決まった際に、
「ああ、もう1試合出来る、、、、嬉しいな」
と思ったのです。
初戦は緊張感もあり、ビビって試合が出来る喜びはあまり感じる事がありません。(試合が出来るような環境にいる事自体が幸せである事は理解しています。)しかし、勝った次の試合は不思議と緊張感は緩み、もう1試合出来ることの喜びが湧いてきます。もちろん1試合目よりも疲れて動けなかったり、相手がもっと強かったりと不安要素はありますが、「ああ、もう1試合出来る、、、、嬉しいな」という気持ちが圧倒的に勝ちます。
こんな気持ちを感じたことないでしょうか?
IBJJF主催大会で無差別級にエントリーする話
IBJJF主催の大会では階級別のトーナメントで3位以内に入ると無差別級(オープンクラス)への出場権が与えられます。運良く無差別級のチャンピオンズトーナメントの出場権を手にした時に皆さんどうします?出ますか?
私は出ます。
フェザー級の私にとっては無差別級は体格的に不利なことが多く、不安があります。しかし、複数回試合をすると緊張とか恐怖よりももう1試合出来ることの喜びが圧倒的に勝つのです。
昨年ワールドマスターで3位に入賞した際に、それまでに4試合やってめちゃくちゃ疲れていたのに、無差別級に迷わずにエントリーしました。せっかく獲得した無差別級出場の権利を行使しないのは勿体無いという貧乏くさい感覚と「ああ、もう1試合出来る、、、、嬉しいな」という気持ちがそこにはありました。
プロの格闘家も同じような事を言っていた話
今は亡きDreamのバンタム級トーナメントで決勝戦に勝ち残った足関十段で有名な今成選手が「また試合が出来るのが嬉しい」的な事を言っていました。
更に時代は遡ってプライドグランプリ2003の際に、初戦で敗退した桜庭選手が「次の大会に出られないのが悔しい」的な事を言っていました。(両者のインタビュー記事を探しましたが、見つからなかったのでうろ覚えです。間違ってたらスミマセン)
プロの選手達も格闘技が好きで「もう1試合出来る、、嬉しいな」という気持ちがあるのでしょう。
「もう1回◯◯出来る、、、嬉しいな」と思ったら、それこそが人生だ
この「もう1回◯◯出来る、、、嬉しいな」という感覚を感じたことありますか?
また、どんな時に感じるでしょうか?
“何をしている時にこの気持ちになるか”がわかると自分の人生において何が幸せかがわかり、周辺の人の意見に左右されない強烈な軸が出来るような気がします。
皆さんも「もう1回◯◯出来る、、、嬉しいな」ということを探してみましょう。
柔術と何気ないテレビのトーク番組の一言から幸せとは何かという小難しいようで実は生きていく上でもっとも大切なテーマについて学ばせて頂きました。
「もう1回スパーリングが出来る、、、嬉しいな」でも「もう1回試合後の打上げのビールが飲める、、、嬉しいな」でもなんでも構いません。「もう1回◯◯が出来る、、、嬉しいな」という気持ちをたくさん見つけて、楽しく生きていきましょう。
今回は、珍しく柔術から学ぶ人生における幸福とは何かという哲学的なお話でした。
研究所からは以上です。
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