こんにちは、taikiです。
三角絞め研究所を熱心に追いかけてくださっている方はご存知かもしれませんが、三角絞め研究所のFacebookやTwitterでチョイチョイ牙の人が登場していたのを覚えている方もいらっしゃると思います。
牙の人と飲んでるなう pic.twitter.com/VF1H7FlZa3
— 三角絞め研究所 (@triangle_chk) 2018年6月5日
そのチョイチョイ登場して頂いた鬼のように極めの強いことで有名な岡本裕士選手が遂に登場頂きます。
岡本裕士選手は、教則DVDも出されていて、SNSでも柔術が好きな方なら一度はその特徴的な恐い風貌(牙付き)を見たことがあると思います。
そんな見た目とは裏腹に、居酒屋で牙のマウスピースをしてポーズをとっている最中に店員さんが来ると牙を隠すという常識人です(笑)。
今回は、鬼極め先生に柔術をはじめたキッカケや鬼極スタイルに至った経緯から、金古先生との遺恨(!?)や鬼極めセミナーについてお話を伺いました。
お楽しみください!
岡本裕士選手の基礎情報
名前:岡本 裕士(おかもと ゆうじ)
通称:オカロック、鬼極め先生、牙の人
身長:171㎝
体重:ミドル級(通常時)
年齢:来年からマスター3
所属:RJJ
SNS:Facebook
主な戦績:
柔術
- 2018年 東日本マスター柔術選手権 マスター2黒帯ミドル級・無差別級 優勝
2018年 全日本マスター柔術選手権 マスター2黒帯ミドル級 優勝 無差別級 準優勝
2017年 アジアオープン柔術選手権 マスター2黒帯ライト級 優勝
鬼極めスタイルが出来るまで
taiki
本日は、柔術家なら一度はFacebookのタイムラインで見かけたことがある牙の人、鬼極め先生こと岡本裕士選手をゲストにお迎えしてお話をお伺いしようと思います。
岡本さん、よろしくお願いします。
こちらこそよろしくお願いします。
鬼極め先生
柔道時代
taiki
鬼極め先生は、元々は柔道をやっていたとのことですが、どんなキッカケで柔道をはじめられたのでしょうか。
柔道は親にハメられてはじめました。
元々は小学生の頃にサッカーをやっていましたが、キーパーをやるのが嫌で辞めて、野球に転向しました。しかし、ボールが思ったように投げられなかったりセンスがないなと感じたので辞めてしまいました。
その後、私が自発的に「塾に行く!」と言い出すのですが親としては何かをやらせたいと思ったのでしょうか、母親に警察に連れて行かれて、柔道を始めることになりました。小6の時ですね。
鬼極め先生
taiki
警察!!
なかなか強烈ですね(笑)
母と警察に行くなんて普通じゃないですよ(笑)
とても恐かったです。
鬼極め先生
taiki
警察署で柔道をはじめてからは楽しく練習したのですか?
全然楽しくないです(涙)
連れて行かれたからやるしかないと思ってやっていました。練習も6ヶ月は受け身しかやらせてもらえず、放置プレイ状態でした。
ただ、前回り受け身あたりから少しずつ楽しくなってきました。
とはいっても自分達からはなかなか「この技をやりたい!」とか言い出せず、言われたことをそのままやっていました。
鬼極め先生
taiki
その後、中学生になって柔道部に入って続けるわけですね。
はい。
中学生になった頃は警察署で柔道をやっていたこともあり、自分が強いと思っていました。
しかし、試合に出たら負けてしまいました。
そこから柔道の技の本を買って、読みながら技を覚えていきました。
YoutubeもDVDもない時代でしたから、本から技を学ぶぐらいしかありませんでした。
中学時代
鬼極め先生
taiki
時代とツールは違えど、現代の柔術家の皆さんがやっているような試行錯誤を既にその時代からやっていたのですね。
そうです。
自分でどうしたら上手くいくのかを考えながら練習するのがとても楽しかったです。
古き良き昭和のシゴキ的なものもありましたけど、今になれば良い思い出です。
鬼極め先生
taiki
その後、高校に進学して更に柔道を続けるのですが、中学時代とは異なりますか?
高校時代はとにかく辛かったです。
とにかく練習がキツイ。
全く余裕がなくて、ずっと辞めることを考えていました。
鬼極め先生
taiki
!?
鬼極め先生が辞めたいって相当ですね。
以前の奈々美さんインタビューでもそうでしたが、柔道の練習はとにかく厳しいイメージがあります。
写真:高校の柔道部の皆さん。あの方もいらっしゃいます。
私の場合は、期待されて特待生で入学したのにも関わらず、高校1年の時に、2度の鎖骨骨折をしてしまい、トータルで半年くらい練習できない期間がありました。その影響も大きく、同級生との差が開いてしまったことが、大きな理由の一つでもあります。
当時の状況を柔術で言えば、茶帯や黒帯の中に青帯が一人いるようなイメージでしょうか。
とにかく投げられました。
その中の同級生にあの小室選手もいました。
鬼極め先生
写真:当時の思いを卒業アルバムから読み取ることが出来ます。練習時間が長い!
taiki
おお!コムロック先生!!
コムロック先生の話を掘り下げると時間がいくらあっても足りなくなりそうなので別の機会にしましょう。
その後、大学・実業団と柔道人生は続くのですが、どんな感じだったのでしょうか。
大学に関して言えば、今思えばサークルの延長的なレベル感でしょうか。高校が強すぎたのでしょう。
月曜から金曜まで柔術サークルに通っているイメージです。ちょっと物足りなかったです。
大学卒業後は実業団に入って柔道を続けました。
実業団といってもいわゆるプロではなくて、普通に仕事がメインで週に1-2回ぐらい練習をやるといった強度です。
鬼極め先生
taiki
大学や実業団での練習は楽しんでやっていたのでしょうか?
どの時代にも関わらず、私にとっては、やらされる練習というのがとにかく楽しくなかったです。
逆に自分で考えて思考錯誤しながら答えを導き出していく練習が楽しかったので、そちらの方が合っていたのでしょう。
鬼極め先生
taiki
これは最近何かと話題の体育会あるあるでしょうか。
理不尽に何かを強制されるのではなく、自由な発想でいろいろ試す過程が楽しくて、結果的にそっちの方が良い成果を生み出すのは何事にも共通する事ですね。
柔術との出会い。そして鬼極めへ
taiki
その後、腰を怪我して柔道を辞めた後に柔術を始めることになるのですが、その時はどんな経緯だったのでしょうか。
2006年2月頃に、縁があって寝技研究会の練習に参加させて頂きました。
名前の通り寝技中心の練習会なのですが、行ったら強い人ばかりで、寝技がとても新鮮で面白かったのです。
そのことを友人である小室選手に話したら昼柔に誘われました。
そんな感じで柔術の面白さに惹かれていきました。
鬼極め先生
taiki
昼柔!!
柔術の虎の穴と言われているあの昼柔ですね。
昼柔とは
パラエストラ東京で中井祐樹先生が主催している所属関係なく参加出来る練習会。猛者と呼ばれる人達が集う為、一部では柔術界の虎の穴と呼ばれている。
私が昼柔に参加した頃に既に小室選手は黒帯でした。
そこで小室選手から「黒帯になったら試合しようよ」と言われ試合と帯を意識するようになりました。
そのタイミングで中井先生に白帯カーニバルという大会があると言われて参加したのです。
写真:白帯カーニバルでの勇姿
鬼極め先生
taiki
鬼極め先生の白帯というのが想像できません(笑)
試合はどうだったんですか?
階級別・無差別級ともに勝って優勝しました。
当時はルールもよくわかっていなくて、特定の道場に所属していたわけでもないため、奥さんについてきてもらって動画を撮影してもらいつつ、相手のセコンドの声を聞いて状況を判断するような感じでした。
「○○さん、0-4で負けてます。残り2分です!!」的なのを聞いて、俺が勝ってるんだ的な(笑)
あと試合をして感じたことは柔道とはだいぶ雰囲気が違うことです。
対戦相手と「今度練習に来てください」みたいな感じで交流が生まれるのですが、柔道はもっと殺伐としていてそんなことはなかったですよね。
鬼極め先生
taiki
これぞ柔術カルチャーですね。
競技志向の柔術であっても、変に殺伐としないで、和気あいあいとした雰囲気があったわけですね。
はい。
単純に柔術が練習を通じて強くなっていくのも楽しかったですし、雰囲気含めた柔術カルチャーも楽しかったです。
その後、大賀先生から青帯を頂きました。
写真:鬼の形相で鬼極めスタイルを実践中
鬼極め先生
taiki
青帯になっても試合は順調だったのですか?
青帯デビュー戦は決勝戦で三角十字で一本負けしてしまいました。
それが悔しくて無差別級では負けたくない一心で勝ちに拘った試合をしました。
試合が終わってからその試合を見返したのですが、この試合が実に塩っぱい試合で、ぜんぜん面白くないのです。
これがキッカケで勝ちに徹してつまらない試合をするのは嫌になりました。
誰が見てもわかる試合をして、気持ちよく勝ちたい、勝敗よりも勝ち方にこだわりたいと思うようになりました。
鬼極め先生
taiki
鬼極め柔術の原点は、過去の自分自身の塩っぱい試合にあったわけですね!
そんな鬼極め先生から見ると先日のサッカーワールドカップにおけるポーランド戦のような消極的な試合はアウトですか?
ポーランド戦に関しては、決勝トーナメントに行くというのが目標なのだから仕方ない面はあると思います。
ただ、お客さんとしてはあの展開を見せられるのは微妙ですよね。
その一方で、監督のあの決断はスゴイなぁと思いました。
鬼極め先生
RJJの看板を譲り受ける
taiki
昼柔と寝技研究会を中心に練習をしていたようですが、特定の道場には所属はしなかったのですか?
その2つで練習させて頂いていたので、それまでは無所属でした。
ただ、その頃から試合に出るために団体登録する必要が出てきたので、自分が試合に出るために団体登録をしようと考えました。
その際に、小室選手が「RJJを使っていいよ」と言ってくれて、RJJの看板を譲り受けて団体登録しました。
写真:紫帯時代、ホベルト・サトシと初対戦
鬼極め先生
taiki
RJJと言えば、小室選手や青木真也選手、現ネクサセンスの植松先生などが練習していた「技術の梁山泊」ですよね?(Wiki調べ)
そうです。
最初はRJJの看板が大きすぎるかなと思って、RJJ大宮と名乗っていました。
私一人しかいないのに、勝手に支部です(笑)
そこから少しずつ仲間が増えていき、練習を主催するようになっていって2013年にRJJをアカデミー化しました。
鬼極め先生
taiki
どこの道場にも所属せずに練習を続け、試合の為に団体を作るとはスゴイですね。
ちなみに指導者がいない中で、テクニックはどうやって磨いたのですか?
基本はDVDで学びました。
早川先生のはじめてのブラジリアン柔術とか佐々さんの盾矛あたりですね。
それまではコムロックをひたすら見ていました。
写真:RJJ初期の練習風景。なぜか先生だけストリートファイトスタイルw
鬼極め先生
taiki
なんだか金古先生と近いものがありますね。
日夜DVDやYoutubeでテクニック動画を見ている皆さん、強くなるためにはその方向性は間違っていないようですよ!!
後編に続く。
次回予告
いかがでしたでしょうか?
既に中学生の時に試行錯誤する面白さに気づいた時点で、その後の柔道・柔術人生は開けていたのかもしれません。
また、鬼極めのルーツは青帯時代の塩っぱい試合にあったとのことでした。ナチュラル・ボーン・鬼極め(生まれながらにして鬼極め)じゃなかったわけです。
人に歴史ありです。
後編では、ムンジアル、ワールドマスターへの思いや自身の教則DVD、セミナーについて語って頂きます。
オマケ:鬼極め先生 vs コムロック先生
2006年の「黒帯になったら試合をしよう」という小室選手との約束を2011年に果たすことになります。
その時の試合がこちら。
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