こんにちは、taikiです。
最近、更新頻度が落ちてしまっています。
仕事が忙しかったり、途中まで書いたけど納得いくクオリティにならなかったりが原因で、私自身は元気に過ごしております。
最近読んだ青木選手のnoteで「負けたくない気持ちから脱却して攻防を大事にする」話がめちゃくちゃよくて、練習に対する考え方にハッとさせられました。
これを踏まえて、スパーリングを試合と見立てて練習することについて考えてみたいと思います。
練習で負けたくない気持ちは必要なのか
以前、道場の練習中にスパーリングでやられてしまったことをとても悔しがっている方がいらっしゃいました。
私は、スパーリングでやられることはそこまで悔しくなく、むしろ試合でやられると悔しいという想いになります。
その方は試合には出たことはなく、スパーリングを試合と考えてしまっていたようです(そう考えると悔しい気持ちもなんとなく理解できるようになりました)。
ここで一つの疑問が沸き起こります。
「スパーリングを試合のように考えて練習すること」と「スパーリングは試合と別モノと考えて練習すること」はどちらが練習効率がいいのかということです。
練習密度を高めるのは攻防
試合では「普段やらない技を試してみよう」ってあまりならないですよね。
試合は負けたくないからディフェンシブに固くなりがちです。試合ならまだしもそれを練習で毎回行ってしまうと、守る練習は出来るかもしれませんが、あまり練習にならないですよね。
失敗してもいいから新しいことにチャレンジして、少しでも動きのあるスパーリングをした方が練習になるように思えます。
特にマスター世代で練習量も体力も限られているけど強くなりたい人は、1回の練習密度を高める必要があります。
そうなると練習効率という観点では「スパーリングを試合のように考えて練習する」よりも「スパーリングは試合と別物と考えて練習する」方が練習効率はよさそうです。
と、頭ではわかっていても、いざ練習でやられるのが嫌でディフェンシブになっちゃうことはある(涙)
特に仕事の関係で練習頻度が落ちている時だったので、特にそんなことを考えました。
まとめ:スパーリングではやられてもいいからチャレンジすることにした
以前、道場のクラス終了後のフリーマットは残業みたいなものという記事を書きました。
この時は練習効率を高めるためにはスパーリングを連続でやるという話でしたが、今回はその一本ずつのスパーリングの質を高めるためにやられてもいいからもっとチャレンジしろということでした。
言われてみればその通りなのですが、当時はそこまで頭が回らなかったようです。今回のことで練習の質・密度とは何かが少しずつですがわかってきた気がしました。
ぜひ、みなさんも練習効率を意識した練習をしてみてください。きっと柔術が広がります!
以上「スパーリングを試合と考えて取り組むと練習効率はあがるのか」でした。
合わせて読んでほしい
青木選手のこちらのnoteがとっても参考になりました。青木選手の練習論はためになります。